熊本県天草地方の言葉を紹介すっぞ(紹介しますよ)

天草の言葉(方言)やら、風やら海やらを語り合いましょう。皆様からも天草の言葉の情報をお待ちしてます。

熊本地震:方言が人を助けられないことがあることを知って驚いた話

方言って、楽しい。面白い。

そんなふうにしか思ったことないけど、人を救うために壁になる場合があることを知りました。

 

熊本にも方言いろいろ

 

この表は、2016年5月5日の西日本新聞に掲載された記事の一部です。

記事は、熊本地震で被災した方々を医療従事者が治療等するのに、方言が邪魔をする、そのため、言語学者が方言ガイドを作成し、その手助けをする、というものでした。

 

なるほど、そりゃそうです。

その地元出身の医者が仕事するのには支障ないけど、違う地域の出身者では言葉がわからない。

若者ならまだいいかもしれないけど、特にお年寄りの方言は解読が不能な場合が多い。

 

 

しかも、熊本の中にもいろいろ方言があります。

他県、あるいは九州以外の地域のみなさまは、「熊本なら“ばってん”でしょ?」とひとくくりにされるかもしれませんが、そうではないですね。同じ市でも、隣の町では全然使わない言葉が存在したりする。

 

 

そういう意味で、方言のガイドは必須ですね。

 

 

 

 

【追記】ありがとう!

西日本新聞さん

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/243203

 

福岡女学院大学「熊本支援方言プロジェクト」さん

http://www.fukujo.ac.jp/university/other/hougenpjt.html

 

 

所詮、天草がどれだけ理解されているかってこんなもの

昨日の、日本テレビ「ZIP」での一コマ。

この写真を見ただけで、天草の人間はガッカリするのです。

 

 

[caption id="attachment_10035" align="alignleft" width="300"]「牛深市」と表示されちゃった牛深市」と表示されちゃった[/caption]

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに表示されている「牛深市」という地名。この住所は、今は存在しません。昔は存在しましたけど。

いわゆる「平成の大合併」、2006年に、牛深市は、本渡市その他の自治体と合併し、「天草市」となりました。

 

牛深市牛深町→天草市牛深町 本渡市下浦町→天草市下浦町

 

というように、住所も変わりました。なので、この画面にうつっている「牛深市」は、厳密には間違いです。(うつっている場所が、合併前の牛深市であることは正しいです。)

 

 

 

原稿と映像

 

ZIPの放送の様子は、こんなでした。

桝アナの横の女子アナ(小熊アナ?)「天草市では・・・」と、映像を描写しました。

その後しばらくして、映像に気づいたであろう彼女は、 「失礼しました。牛深市では・・・」と言い直す

 

てな感じ。 原稿は間違っていなかった。でも、間違った映像のテロップに反応した、「牛深市が存在しないことを知らない」女子アナが、映像をみて自分のしゃべりを間違っていると思って、牛深市と“訂正”したのでした。

 

なので、“犯人”はテロップを書いた人間ということになりますが、テロップが間違っていることをわからなかったこともほめられたことではありません。

 

 

 

歴史は繰り返す

 

同じようなことが昔もありました。それは20年以上前。 夕刻のニュース。最後の方で、その季節の風物詩的なネタを紹介しますよね。放送局はTBSでした。女子アナ(吉川美代子さん。今では重鎮です)が

 

「長崎の天草では・・・が始まりました」

 

とやっちゃいました。

 

ウォー、全国区のアナウンサーでもこんなもんか

 

合併ではありません、そもそも天草は、昔から長崎県ではありません、熊本県です。 合併でなくなった、という事情ではなく、そもそも県が違うんです。 そういう意味では、このTBSと、今朝のZIPでは罪の度合いが断然と違う。

 

ただただ、どちらにしても、天草って知名度というか、知られている度合い(知名度とも表現しにくい)が低いんだな、と実感したのでした。

 

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余震は怖い:平成28年熊本地震 第2報

余震は怖い、という以下の記事を書こうとしていたところに、本当に怖い余震が発生しました。

2016/04/16、1時過ぎに、最大震度6強の揺れです。

 

 

 

 

今回の熊本の大地震気象庁が「平成28年熊本地震」と命名)について、追記します。

 

 

1.余震の怖さ

大きな揺れはこれまでも経験したことがありましたが、今回の地震で最も印象的だったのは余震の怖さ。

私の住む福岡の街は、最大で震度3程度でしたので、さほど大きな揺れだとは思いません。ニュースを観て、「なんだ、震度3程度か」と感じた方もすくなくないと思います。 でも、その程度の揺れでも、十分後とか数十分後とか、頻繁に起きると、怖さが徐々に増していきます。

普通は、余震は、最初の揺れより徐々に小さくなっていきます。 たとえば、震度5、震度4、震度3、2、2、1・・・と。揺れの程度は小さくなっていくけど、怖さの程度は同じ程度か、いやむしろ大きくなっていく感じがしました。

「また揺れた。終わったんじゃなかったのか」 「次はいつ揺れるのか」 「いつ終わるんだ・・・」

 

 

 

2.もう一つの怖さ

恐怖、という意味での怖さに加え、ある意味こちらのほうが深刻と思ったのが、慣れによる怖さ。

揺れに慣れてくると(私は慣れなかったけど)、感覚がマヒしてきます。 そうすると、最初の揺れに遭遇したときに直観的に感じたであろう「テーブルの下に隠れねば」とか、「ものは落ちてこないだろうか。よけなければ」といった、被害を最小限にとどめようという意識が低下していくのが自分でもわかりました。

 

余震といえど、揺れは小さくありません。気象庁いわく「平成28年熊本地震について、引き続き1週間程度は震度6弱程度の余震に気をつけるよう呼びかけている」(追記:実際、6強の余震が2016/04/16、1時過ぎに起きたわけです)とのことです。なので、油断は禁物。

準備、あるいは意識が高い状態であれば被害も最小限に食いとどめられても、ゆるんだ意識や準備不足だと被害は大きくなると思うんです。 そういう意味からも、余震はこわいな、と。

これまで、余震というものを自分に起きることとしてとらえたことがなかったのですが、今回経験して、「余震とは怖いものだ」との反省です。

 

 

 

熊本・天草で地震

私の故郷、熊本県で大きな地震が発生しました。

天草の実家にいる母に電話。

携帯電話ではつながらず、固定電話でつながりました。

無事とのこと。

 

家は、ブルブル震える感じで、大きな揺れというわけではなかった、とのこと。

物が落ちるということもなかったようです。

 

それでも、「怖かったよ」と。

我が家も揺れました。

震度3でした。

 

 

独自言語が消失の危機らしい:スーダンのことと日本の言葉

テレビで、スーダンで独自言語が消失する、というニュースを報じてました。

記憶があいまいで、「独自言語」という表現が正しかったかどうか、自信がないのですが、間違っていなかったとして、「独自言語」というのは初めて接した言葉です。

 

と、ネットで検索したら、テレビの内容をトレースしている、こんなサイト。「独自言語」は間違ってなかったようです。

http://p.jcc.jp/sp/overseas/43487/

 

 

そして、ウィキ先生にも載ってました。日本にもありました。

 

消滅危機言語の一覧

 

 

 

 

テレビでは、インタビューを受けたスーダン国民が

「◯◯地域の言葉は聞き取れない」

などと話していました。

 

 

言葉は文化ですね。なくなってほしくないですね。

でも、社会の変遷の結果そのものも言葉だという感じがするので、自然消滅なのであれば抵抗できないとも思ったりもします。

 

私自身、生まれ育った天草の言葉をなくしたくないという想いから、方言のページを更新してますが、結局はいつかはなくなり、歴史をひもとくための当時の記録くらいの意味合いしかないのかも、とも思ったりもします。(それだけでも十分な意義はあると思うのですが)

http://www.macdigi.info/2015/08/amakusa-words/

 

 

一方で、言語の消失が、為政者による、特定の民族や文化を抹殺する、という意図の影響で起きてしまうとしたら、それは受け入れられないですよね。

 

 

 

日本には標準語(共通語)ってのがあります。

私の雑な(もしかしたら正確ではない)記憶では、NHKが、当時の放送局があった東京の愛宕の言葉を使ったのが標準語のおおもとだという説を聞いたことがあります。

そういう意味では、日本の標準語も方言の1つ。

 

アナウンサーの言葉だけが高級なわけじゃない。

言葉、文化はいろいろあっていいのだ。

(天草弁では「いいのだ」=「よかっさい」かな)