テレビで、スーダンで独自言語が消失する、というニュースを報じてました。
記憶があいまいで、「独自言語」という表現が正しかったかどうか、自信がないのですが、間違っていなかったとして、「独自言語」というのは初めて接した言葉です。
と、ネットで検索したら、テレビの内容をトレースしている、こんなサイト。「独自言語」は間違ってなかったようです。
http://p.jcc.jp/sp/overseas/43487/
そして、ウィキ先生にも載ってました。日本にもありました。
消滅危機言語の一覧
テレビでは、インタビューを受けたスーダン国民が
「◯◯地域の言葉は聞き取れない」
などと話していました。
言葉は文化ですね。なくなってほしくないですね。
でも、社会の変遷の結果そのものも言葉だという感じがするので、自然消滅なのであれば抵抗できないとも思ったりもします。
私自身、生まれ育った天草の言葉をなくしたくないという想いから、方言のページを更新してますが、結局はいつかはなくなり、歴史をひもとくための当時の記録くらいの意味合いしかないのかも、とも思ったりもします。(それだけでも十分な意義はあると思うのですが)
http://www.macdigi.info/2015/08/amakusa-words/
一方で、言語の消失が、為政者による、特定の民族や文化を抹殺する、という意図の影響で起きてしまうとしたら、それは受け入れられないですよね。
日本には標準語(共通語)ってのがあります。
私の雑な(もしかしたら正確ではない)記憶では、NHKが、当時の放送局があった東京の愛宕の言葉を使ったのが標準語のおおもとだという説を聞いたことがあります。
そういう意味では、日本の標準語も方言の1つ。
アナウンサーの言葉だけが高級なわけじゃない。
言葉、文化はいろいろあっていいのだ。
(天草弁では「いいのだ」=「よかっさい」かな)