熊本県天草地方の言葉を紹介すっぞ(紹介しますよ)

天草の言葉(方言)やら、風やら海やらを語り合いましょう。皆様からも天草の言葉の情報をお待ちしてます。

人が死んだあと、ブログはどうなるのか・・・考えこむ

人が死んだあと、ブログやSNSのアカウントなどはどうなるのか。

どうすればいいのか。

 

 

 

http://forbesjapan.com/articles/detail/4210

 

 

後始末をどうしたいのかは、そのアカウントの持ち主によって違うだろうし、その手続もブログやらFacebookやらTwitterやら、それぞれのサービスを運営する企業ごとにいろいろのようです。また、

当然ちゃ当然だけど、めんどくさく、また難しい問題でもあります。

このたび、死後のアカウントをどうするのか、を考えなおす機会がありました。

 

 

 

1.ある方がお亡くなりになりました

 

私が生まれた街にお住まいの、ある人物(Aさんとしておきます)の訃報を知りました。

そのAさんに私が接することになったのは、ネットがきっかけでした。

その街の方言を残そうと私が動き始めた時、同じように方言を記録をされている人物の存在を知りました。その存在がAさんです。

 

その、Aさんの記録はこちらです。(こちらのサイトの「深海の方言辞書」をクリックください。)

http://www.shinkaigyo.jp

 

 

私が残そうと考えていた方言のデータベースは、私(昭和40年代生まれ)が使っている、あるいは覚えているものを基本とするものでしたが、上のサイト「深海魚」の情報は膨大で詳しく、しかも現役時代は教職をされていたAさん(80代)のこと、分析もなされていて、すごい。私のデータが恥ずかしいと感じたのでした。

それでも、Aさんはアドバイスをしてくださったり、深海魚サイトのBBSにて知り合った方々と交流することで、私のあやふやだった方言の情報がまともになり、ネットに出してもいいかな、と思うようになりました。

 

 

このサイトでは、その後、街(深海町と言います。Aさんのニックネーム「深海魚」さんの名前も、この町の名前からとられているはずです。)の言葉だけではなく、天草全体まで範囲を広げることにし、Facebookの手も借りて、方言辞書をまとめることを継続しているところです。

 

 

 

2.深海魚サイトはどうなるのか

 

このたび、深海魚さんの訃報に接しました。

私にとって大切な存在で、残念極まりありません。

 

そして心配したのが、深海魚サイトです。

 

このサイトにはBBS(掲示板)がありますが、バイ●グラなどのスパムな広告のコメントが記入されています。そのうち、たくさんのスパム広告で埋め尽くされないだろうか、誰がこれを管理するのだろうか等々、心配になりました。

有用な方言のデータ、BBSでの交流。これらは大事にしたいと思いましたが、どうなるのやら。

 

その後、BBSを管理されている方がおられることがわかり、ホット一息。

その方によると、以前は数百にのぼる、不要な書き込みがあったらしく、画像認証を入れて減らしたそうな。今後もメンテナンスするし、交流を続けましょう、とその管理人さんは返信してくださいました。

 

 

 

3.Facebookの亡くなった「友だち」に誕生日お祝いメッセージ

 

別の話。

とあるFacebookの友だち(B子さんとしておきます)が、若くして亡くなりました。

とある会で知り合って、意気投合しまして、これからの交流が楽しみと思っていた矢先のことでした。

その友だちに親しい人たちが、故人の遺志を尊重し、そのままアカウントは残そうということになりました。

 

それからしばらくたって、その亡くなった友だちの誕生日が到来。

 

「B子さん、そちらはどうですか。私がそちらに行くのは20年後くらいかな」

 

「そちら」というのは、亡くなった人が行く「あの世」のことです。このように、亡くなった友だちに向けたとわかるメッセージがある一方、存命だと認識しているであろう誕生日お祝いメッセージも多数並んでます。

 

“亡くなっても、今私たちとここに一緒にいるつもりでのメッセージ”

 

と考えられなくもないのですが、いくらひいき目に見てもそうとは思えないほど、無機質な、テンプレでも使ったと思しきメッセージもあります。

あなたたちはどこまで彼女の「友だち」だったんよ?とツッコミを入れたくなる、乾燥したつながりじゃないですか。

 

 

 

4.最後に

 

んー、SNSのアカウントは、死んじゃったらどうするのがいいのだろう。

答えは1つじゃないと思う。アカウントの持ち主本人それぞれだろうし、その人をかこむ人たちの思いもあるだろう。けれども、いろいろ考えさせられる訃報でした。

 

 

 

熊本地震:方言が人を助けられないことがあることを知って驚いた話

方言って、楽しい。面白い。

そんなふうにしか思ったことないけど、人を救うために壁になる場合があることを知りました。

 

熊本にも方言いろいろ

 

この表は、2016年5月5日の西日本新聞に掲載された記事の一部です。

記事は、熊本地震で被災した方々を医療従事者が治療等するのに、方言が邪魔をする、そのため、言語学者が方言ガイドを作成し、その手助けをする、というものでした。

 

なるほど、そりゃそうです。

その地元出身の医者が仕事するのには支障ないけど、違う地域の出身者では言葉がわからない。

若者ならまだいいかもしれないけど、特にお年寄りの方言は解読が不能な場合が多い。

 

 

しかも、熊本の中にもいろいろ方言があります。

他県、あるいは九州以外の地域のみなさまは、「熊本なら“ばってん”でしょ?」とひとくくりにされるかもしれませんが、そうではないですね。同じ市でも、隣の町では全然使わない言葉が存在したりする。

 

 

そういう意味で、方言のガイドは必須ですね。

 

 

 

 

【追記】ありがとう!

西日本新聞さん

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/243203

 

福岡女学院大学「熊本支援方言プロジェクト」さん

http://www.fukujo.ac.jp/university/other/hougenpjt.html

 

 

所詮、天草がどれだけ理解されているかってこんなもの

昨日の、日本テレビ「ZIP」での一コマ。

この写真を見ただけで、天草の人間はガッカリするのです。

 

 

[caption id="attachment_10035" align="alignleft" width="300"]「牛深市」と表示されちゃった牛深市」と表示されちゃった[/caption]

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに表示されている「牛深市」という地名。この住所は、今は存在しません。昔は存在しましたけど。

いわゆる「平成の大合併」、2006年に、牛深市は、本渡市その他の自治体と合併し、「天草市」となりました。

 

牛深市牛深町→天草市牛深町 本渡市下浦町→天草市下浦町

 

というように、住所も変わりました。なので、この画面にうつっている「牛深市」は、厳密には間違いです。(うつっている場所が、合併前の牛深市であることは正しいです。)

 

 

 

原稿と映像

 

ZIPの放送の様子は、こんなでした。

桝アナの横の女子アナ(小熊アナ?)「天草市では・・・」と、映像を描写しました。

その後しばらくして、映像に気づいたであろう彼女は、 「失礼しました。牛深市では・・・」と言い直す

 

てな感じ。 原稿は間違っていなかった。でも、間違った映像のテロップに反応した、「牛深市が存在しないことを知らない」女子アナが、映像をみて自分のしゃべりを間違っていると思って、牛深市と“訂正”したのでした。

 

なので、“犯人”はテロップを書いた人間ということになりますが、テロップが間違っていることをわからなかったこともほめられたことではありません。

 

 

 

歴史は繰り返す

 

同じようなことが昔もありました。それは20年以上前。 夕刻のニュース。最後の方で、その季節の風物詩的なネタを紹介しますよね。放送局はTBSでした。女子アナ(吉川美代子さん。今では重鎮です)が

 

「長崎の天草では・・・が始まりました」

 

とやっちゃいました。

 

ウォー、全国区のアナウンサーでもこんなもんか

 

合併ではありません、そもそも天草は、昔から長崎県ではありません、熊本県です。 合併でなくなった、という事情ではなく、そもそも県が違うんです。 そういう意味では、このTBSと、今朝のZIPでは罪の度合いが断然と違う。

 

ただただ、どちらにしても、天草って知名度というか、知られている度合い(知名度とも表現しにくい)が低いんだな、と実感したのでした。

 

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余震は怖い:平成28年熊本地震 第2報

余震は怖い、という以下の記事を書こうとしていたところに、本当に怖い余震が発生しました。

2016/04/16、1時過ぎに、最大震度6強の揺れです。

 

 

 

 

今回の熊本の大地震気象庁が「平成28年熊本地震」と命名)について、追記します。

 

 

1.余震の怖さ

大きな揺れはこれまでも経験したことがありましたが、今回の地震で最も印象的だったのは余震の怖さ。

私の住む福岡の街は、最大で震度3程度でしたので、さほど大きな揺れだとは思いません。ニュースを観て、「なんだ、震度3程度か」と感じた方もすくなくないと思います。 でも、その程度の揺れでも、十分後とか数十分後とか、頻繁に起きると、怖さが徐々に増していきます。

普通は、余震は、最初の揺れより徐々に小さくなっていきます。 たとえば、震度5、震度4、震度3、2、2、1・・・と。揺れの程度は小さくなっていくけど、怖さの程度は同じ程度か、いやむしろ大きくなっていく感じがしました。

「また揺れた。終わったんじゃなかったのか」 「次はいつ揺れるのか」 「いつ終わるんだ・・・」

 

 

 

2.もう一つの怖さ

恐怖、という意味での怖さに加え、ある意味こちらのほうが深刻と思ったのが、慣れによる怖さ。

揺れに慣れてくると(私は慣れなかったけど)、感覚がマヒしてきます。 そうすると、最初の揺れに遭遇したときに直観的に感じたであろう「テーブルの下に隠れねば」とか、「ものは落ちてこないだろうか。よけなければ」といった、被害を最小限にとどめようという意識が低下していくのが自分でもわかりました。

 

余震といえど、揺れは小さくありません。気象庁いわく「平成28年熊本地震について、引き続き1週間程度は震度6弱程度の余震に気をつけるよう呼びかけている」(追記:実際、6強の余震が2016/04/16、1時過ぎに起きたわけです)とのことです。なので、油断は禁物。

準備、あるいは意識が高い状態であれば被害も最小限に食いとどめられても、ゆるんだ意識や準備不足だと被害は大きくなると思うんです。 そういう意味からも、余震はこわいな、と。

これまで、余震というものを自分に起きることとしてとらえたことがなかったのですが、今回経験して、「余震とは怖いものだ」との反省です。

 

 

 

熊本・天草で地震

私の故郷、熊本県で大きな地震が発生しました。

天草の実家にいる母に電話。

携帯電話ではつながらず、固定電話でつながりました。

無事とのこと。

 

家は、ブルブル震える感じで、大きな揺れというわけではなかった、とのこと。

物が落ちるということもなかったようです。

 

それでも、「怖かったよ」と。

我が家も揺れました。

震度3でした。